ぺんぎんの音楽日記

クラシック音楽について、絵画や鳥たち、日々の生活について自由に書いていこうと思います。

テルマエ・ロマエの音楽

お風呂が好きで、お風呂の記事もいくつか書いてきました。
 
また、大学での専攻はローマ史でした。卒論も後期ローマ帝国の政策について書きましたから、
 
映画「テルマエ・ロマエ」には大変興味があり、今日のレイトショー(24時5分から)を見てきました。
 
映画の公式サイトはこちら→ http://thermae-anime.jp/
 
夜遅いので、席はインタネット予約しなくても空いてると思いいきなり行きました。
 
ガラガラでした。どこでも座りたい放題ですが、テル前・ロ前と唱えてると、前の席に行きたくなって、
 
あろうことか前から2番目の真ん中のチケットを買ってしまいました。
 
映画の世界に浸りきれていいと思ったのですが、ほどなく気持ち悪くなりました。酔ったのです。。w
 
バス酔いにも似た状態でした。なるべく体を沈めてリラックスしました。
 
映画はとっても面白かったです。濃い顔の日本人にイタリアの現地の人と一緒にローマ人を演じさせ
 
日本人の役には思い切り平たい顔の日本人をあてているのですが、ちょっと無理な顔もあったかもww
 
ストーリーはネタバレになるので触れませんが、こういうコメディもありなのかと思いました。
 
この映画に盛り込まれている私の好きなものは、お風呂とローマ史だけではなく音楽もありました。
 
クラシック音楽がふんだんに使われているのです。途中で変な指揮者風のおじさんも登場しますし。
 
ローマのイメージからか、イタリアのオペラのアリアがたくさんいろんな場面に使われていました。
 
トスカの「星もひかりぬ」、蝶々夫人の「ある晴れた日に」、トゥーランドットの「ネッスン・ドルマ
 
アイーダの「凱旋行進曲」ほか、リゴレットからなどなど。。。
 
オペラ以外でヴェルディのレクィエムからディエズ・イラなど、ハドリアヌスが落ち込んだ時のBGMに
 
フォーレの「ラシーヌ讃歌」が使われていました。これはいい曲ですよね。
 
パイプオルガン伴奏で歌ったことがあります。オルガン伴奏のものをYouTubeで見つけました。
 
 
オペラの歌詞の意味や、場面などとBGMとして使われた場面とはあまり合ってなかったりしますが
 
「のだめ・・・」のとき同様、曲の雰囲気で使いどころを決められていますね。
 
では、私も自作の練習用「アイーダ凱旋行進曲」をちぐはぐな春の風景に乗せてみました。
 
 
ちぐはぐ、違和感、については、羅馬の時代の場面で上戸彩が「今、何年?」と聞いたとき
 
ルシウスが「え~と、135年」と答える場面、これは、今の私たちの時代では当たり前なのですけれど、、、
 
2世紀のローマにおいてはあり得ない会話でしょ。
 
この西暦は、キリスト紀元であり、キリストの生誕以降の時代をラテン語でANNO DOMINI(主(キリスト)の年)
 
というので、紀元後をあらわすのにADを用い、紀元前を表すのにBC(Before Christ)を使うのですよね。
 
キリスト教が認められたのは313年ですね、コンスタンティヌス帝がミラノの勅令により容認しました。
 
彼がローマの唯一の皇帝になるための最後の戦い、マクセンティウスとのミルウィウスの戦いにおいて
 
ラクタンティウスによると、夢の中で「汝これを持て勝て」、とラバルム(紋章)を示され、
 
(ラバルムはギリシア語のキリストを表す言葉の最初の2文字、XとPを組み合わせた紋章です、Windowsではありません)
 
その通りにしたら勝つことができた、ということからキリスト教を認めた、というのですが。。。
 
そのころまでにかなりの数に達していたキリスト教徒を味方につけるための作戦だったという説もありますね。
 
その後、6世紀のローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスによってキリスト紀元算出されました。
 
なので、2世紀の5賢帝時代には、キリスト紀元がありうるはずはなく、あの場面は私には違和感がありました。
 
 
 
ついでに、映画に出てくるハドリアヌス帝は五賢帝の一人、五賢帝と呼ばれるのは次の5人、
 
ネルウァ (Marcus Cocceius Nerva)
トラヤヌス (Marcus Ulpius Nerva Trajanus)
ハドリアヌス (Publius Aelius Traianus Hadrianus)
アントニヌス・ピウス (Titus Aurelius Fulvius Boionius Arrius Antoninus Pius)
マルクス・アウレリウス (Marcus Aurelius Antoninus)
                                          
5人とも卓越した皇帝であったということでもなく、穏健に統治したこと、愚息に跡を継がせることがなかったこと、
 
さらに、2世紀のローマが一番発展し「ローマの平和」PAX ROMANAの良き時代であったことが
 
彼らを賢帝たらんとする要素となったのでしょうね。もちろん、自ら兵を率いて戦いに勝利した皇帝もいます。
 
最後のマルクス・アウレリウス・アントニヌスには息子コンモドゥスがいて、これが後を継ぐ、、
 
ローマの平和と繁栄に翳が差し、北方からのゲルマン人の侵入に脅かされて、不穏な時代へ移っていきます。
 
ローマは広範な領土を統治するのが、だんだんと難しくなり、従来の体制ではもうどうにもならなくなってきます。
 
そんな時代を引き継いだコンモドゥスは不運と言えば不運だったかもしれませんが、五賢帝の後の愚帝と
 
言われていますね。コンモドゥスは映画「グラディエイター」で愚かな皇帝として登場します。
 
テルマエ・ロマエ」はそんな厳しい時代となる前の幸せな時代のローマの幸せなお風呂のお話でした。