ぺんぎんの音楽日記

クラシック音楽について、絵画や鳥たち、日々の生活について自由に書いていこうと思います。

ボロディンのあの辺の音楽

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先ごろ、某番組で「韃靼(だったん)」というのは間違いで、「あの辺」ではないか、という論議があったとかで話題になったボロディンの歌劇「イーゴリ公」から「韃靼人の踊り」について、遅ればせながら考察を。

西洋史学出身としましては、「あの辺り」の曖昧さがちょっともどかしいのです。
実はテレビを見てなかったので、どういう解説がなされたのだろうと、大変興味があり、解明しないと何だか眠れない気がして。。。。w
こんなことをごちゃごちゃ書くとまた嫌われそうですが、自分の気持ちの整理のために書きたいです。

そもそも、韃靼人とはどこに住んでる人たちなのか?
国史を学んだことのある人たちは、時代ごとに侵略してくる北方民族の名称を目にすると思います。
中国の王朝のうち、金(女真人、南宋時代北半分のみ)、元(蒙古(モンゴル)人)、清(満州女真)人)は、北方民族が漢人の中国を征服して建てた王朝です。
中国は古くから北方民族の侵略に悩まされていました。北方民族に征服されなかった時代でも、紀元前の秦~漢代では匈奴、6世紀ごろは突厥(テュルク系)、宋代には契丹女真、蒙古、そして明代には韃靼とオイラートが中国を脅かしてきたのです。
明代に今のモンゴル辺りに勢力を張っていたのが韃靼、その西側に位置していたのがオイラートです。
歴史地図は検索しても出てこないのでわかりにくいかもしれません。(もし、吉川弘文館の世界史地図をお持ちでしたら、15世紀はじめの世界地図を見てください。)
このため、秦の始皇帝万里の長城を建設し始め、現存する大部分は明代に作られたのだそうです。
なお、韃靼の由来は突厥文字の碑文によるもので、このテュルク語のタタールを中国側も取り入れ、唐末に「韃靼」の言葉が生まれたようです。

では、ボロディンの音楽に出てくる韃靼(ポロヴェッツ)というのは、どこなのでしょう。
イーゴリ公は12世紀の後半(1151~1202)のノヴゴロド公国の人です。ノヴゴロドは9世紀にヴァイキングのリューリックにより征服され、後にノヴゴロド公国が建てられました。
11世紀頃にキプチャクと呼ばれるテュルク系の遊牧民黒海北岸からアラル海北方の草原地帯に広がって遊牧するようになりました。ロシアではポロヴェツ、ヨーロッパではクマン(コマン)と呼ばれました。
彼らは南ロシア一帯、中央アジアの辺りまで広がっていたようです。彼らの活躍した範囲はキプチャク草原、クマニア、ポロヴェッツ草原などと呼ばれたようです。
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後に、モンゴルのバトゥの侵攻によりキプチャクはモンゴルの支配下に入り、この地域は広大な領土のキプチャクハン国となります。
チャガタイ、オゴタイ、イルなどのハン国は、それぞれ建国者の名前を取っていますが、キプチャクだけはバトゥの名前ではなく、支配された民族の名前になっているのです。
その後、イスラム教国の支配下に入り、奴隷として売られてエジプトでマムルーク朝奴隷王朝)を起こしています。

あれ?北方民族のタタール(韃靼)とはちょっと違う気がしますね。
ボロディンの世界で、あ、いや、ロシアで言うポロヴェッツというのは、テュルク系の遊牧民なのです。
もちろん、突厥のようなテュルク系北方民族もいますが、本当はポロヴェッツ(キプチャク)を支配したモンゴル人のほうが韃靼と呼ぶにふさわしいのです。
東ヨーロッパにバトゥがモンゴル軍を率いて遠征してきたときに、ポロヴェッツ人は彼らをタタールと呼んだのですから、ポロヴェッツ人≠韃靼人ですね。
ゲルマン人の移動のとき、アルプス以北の原住民をすべて、ローマ人は十把一からげにゲルマン人と呼んでいます。
また、そのゲルマン人を移動させたフン族匈奴と同一であるという説があります。
もしかしたら、北方民族が西走してヨーロッパへ来ることは韃靼に始まったことではないのかもしれません。ただ、想像できるのは、今のように情報がなかった時代、ローマにおいてはアルプスを越えてくるのはみなゲルマン人、ロシアにおいては東から来るのは韃靼人、と総称していたのではないかということですよね。日本人もヨーロッパ人を南蛮人とか呼んだこともありましたっけ?

ついでに言うと、作曲者のボロディンには、交響詩中央アジアの草原にて」という作品があります。
これは、先の「韃靼人の踊り」と大変風情が似ている気がするのです。いや、絶対に似ています。w
中央アジアはこれの赤紫の部分 
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でも、彼の出自がグルジア皇室の皇太子ルカ・ゲデヴァニシヴィリの非嫡出子であることを考えると、中央アジアの草原というのはポロヴェッツ草原のことではなかろうかと思ったりするのです。彼の顔はどう見てもスラブ系ではなくテュルク系っぽいですよね。彼はペテルスブルク生まれでグルジアに住んだことはないけれど、ポロヴェッツ草原に思いを馳せたかもしれないと思うのです。
いずれにせよ、スコアを見てもオーボエやアングレにメロディを歌わせてるところや、低弦のピチカート、その他の楽器の使い方もよく似ています。


※表記について
トルコ系、テュルク系、同義語として使いましたが、最近ではどうやらトルコという語を用いる場合は、トルコの国の民族や言葉を指すようで、広義にトルコという場合はテュルク系などと表記するようです。
なので、表記を改めました。


画像はWikipediaから。


まずは、「韃靼人の踊り」、もとい「ポロヴェッツ人の踊り」w



中央アジアの草原にて」、改名希望「ポロヴェッツの草原にて」w




YouTubeから、「イーゴリ公」のポロヴェッツ人の踊りの場面。踊りはミハイル・フォーキンの振り付け


YouTubeから、「中央アジアの草原にて」アシュケナージ/ロイヤルフィル