ぺんぎんの音楽日記

クラシック音楽について、絵画や鳥たち、日々の生活について自由に書いていこうと思います。

モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス(まことのお体)」K618~モーツァルト~♪

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中学から高校の頃の趣味といえば、音楽のほかに、歴史、と言っても主に西洋史、がありました。
アンドレ・モロワの「英国史」や「フランス史」「ディズレイリ伝」、シュテファン・ツヴァイクの「ジョゼフ・フーシェ」やルードビヒ?マルロー?の「ナポレオン伝」とかよく読んだものです。
なぜこういうチョイスかというと、家にあったからです。
あとになって、ブルクハルトやミシュレーなど図書館で借りてきて読むようになりました。
塩野七生の本も読んで、彼女にとっても憧れました、あんな歴史作家になれたら、とか思いました。
歴史好きが高じて、高校生の頃には「フランス革命史」を論文に書くことを心に決めて、大学は史学科を目指しました。

しか~し、、田舎から都会に出て、毎日がとっても面白くて、お勉強は二の次で、毎日好むと好まざるとに関わらず、人生いろいろを経験しました。
楽しくて有頂天になったり、失敗してどん底に落ち込んだり、浮き沈みの激しい(性格なんでしょうが)日々を過ごしているうちに、もうひとつの趣味の音楽にどんどんはまって、気がつくとチャペルオルガニストを勤め、パイプオルガンの練習に明け暮れていました。
コーラスを始めたのがきっかけだったのですが、練習場所にオルガンがあったので、、、

歴史家になる夢は潰えてしまい、卒論を書く頃には、フランス革命にはもう飽いてしまっていました。
キリスト教主義の学校に長らく通ったこともあり、キリスト教史にも興味があって、結局、ローマ帝国史の後期の最後の輝きともいえるコンスタンティヌス大帝の、キリスト教政策(キリスト教の公認、ミラノ勅令に、313年)について卒論は書きました。(と言っても、今思うとかなり稚拙な論文です)

コンスタンティヌスまでのローマは異教の地、キリスト教は迫害され続けていました。
彼の政策により、以後キリスト教はローマの国教となり、国家権力と結びついてローマの後継者たるフランク王国神聖ローマ帝国と繁栄をともにしていくのですね、、
キリスト教ローマ帝国の遺産(文化とか)それに、ゲルマン民族が加わって、中世ヨーロッパの世界を築いていきます。
ヨーロッパのどの国よりも大きな勢力を持ったキリスト教会は、その勢力を保ち続けるため、様々な異なる宗派を排斥していきます。公会議にて、アリウス派(ニケーア公会議325年)、ネストリウス派(エフェソス公会議431年)、ワルド派、カタリ派(第4ラテラン公会議1215年)を異端とし、、ウィクリフ、フス(コンスタンツ公会議1414-18年)を排斥・・・
しかし、ある時ついに、排斥できない勢力が出現しました。それが、ルターによる宗教改革とそれから続いていく新教の宗派ですね、、、
カトリック教会(新教に対して旧教とも呼ばれますね)は、トリエント公会議を開き、宗教改革に対するカトリック教会の姿勢を明確にし、対抗改革といわれるカトリック教会の刷新と自己改革を計りました。
トリエント公会議で、聖体の秘跡の重要性を主張し、聖変化によってパンとワインがキリストの体と血になること(実体変化)を確認したのですが、その一環として典礼に取り入れられた聖体賛美歌が、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(まことのお体)なのですねぇ、、(引っ張りすぎって。。ペコリ(o_ _)o)))

Ave verum corpus natum de Maria Virgine.
Vere passum immolatum in cruce pro homine:
cujus latus perforatum fluxit aqua et sanguine.
Esto nobis praegustatum mortis in examine.
O Iesu dulcis,
O Iesu pie,
O Iesu Fili Mariae. Amen.

めでたし、乙女マリアより生まれ給いしまことのお体よ。
人々のため犠牲となりて十字架上でまことの苦しみを受け、
貫かれたその脇腹から血と水を流し給いし方よ。
我らの臨終の試練をあらかじめ知らせ給え。
優しきイエスよ。
慈悲深きイエスよ。
マリアの子イエスよ。アーメン     (Wikipediaより)

これに、メロディをつけたものはたくさんあるようですが、やはりなんと言っても一番有名なのはモーツァルトによるものでしょう。
ただし、モーツァルトは最後の3行は省略、途中も2箇所テキストを変更しています。
3行目と4行目ですね、
fluxit aqua et sanguine → unda fluxit et sanguine
mortis in examine → in mortis examine

この曲は作曲された日が1791年6月17日(モーツァルト最晩年ですね)とされ、体調のよくない妻コンスタンツェに療養を世話した友人にささげられたと言われています。感謝の気持で書かれた曲なのですね。生活としての音楽ではなく。
こういうラテン語典礼文による合唱曲を「モテット」と総称されます。


ということでMIDIですが、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプスK618」です。
原曲は弦楽と4声のコーラスで構成されます。声の代わりにメロディ(ソプラノ)をオーボエ、残りの3声をオルガンで入れてみました。

絵はラファエロのマドンナ~♪


MIDI公開期間は終了いたしました~