ぺんぎんの音楽日記

クラシック音楽について、絵画や鳥たち、日々の生活について自由に書いていこうと思います。

バドゥラ=スコダのピアノ・コンサート~♪

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ピアノのコンサートが続いています。
オケよりも今はピアノかもしれません。ちょっと静かにしてたい。。そんな気分です。

いろいろ不幸が重なっていますし。。仕事の不幸、PCの不幸、その他の不幸、、
音楽の慰めがほしいと思いますが、オーケストラよりももっと身近に感じるピアノの音色がほしいかな。

そんな気分で出かけました。明日、10月6日で82歳を迎えるパウル・バドゥラ=スコダ氏の演奏会。
今も現役で、演奏会や録音を行い、音楽学者として本も著しているというのですからすごいです。
プログラムのコラムにウィーン大学の名誉教授である前田昭雄さんが書かれています、
パウル・バドゥラ=スコダの現在は晩年ではない、年齢を意識させない作品との対決、挑戦の情熱----驚きと同時に期待と敬意を感じる”と。
最近の録音のシューベルトソナタのCDに耳を傾けると、そこには、瑞々しい潤いと躍動感のあるリズムで前へ前へと向かって流れて行く音楽の世界があります。演奏者を聞かなければまだ、若いピアニストの演奏のように思うでしょう。

昔、父の横に座って聞いたバドゥラ=スコダの演奏は何だったのか、思い出せません、演奏そのものの記憶もありません。グルダ、デームス、ギーゼキングリヒテル、リリー・クラウス、イングリッドヘブラー、などのピアニストの名前が頭の上を飛び交っていましたが、バドゥラ=スコダもその中の1人でした。誰がどうだったかという記憶はほとんどありません。父のお気に入りはバックハウスでした。
晩年のバックハウスベートーヴェンソナタなど、好んで聞いていました。重厚で渋くて、いかにも悟りきった晩年の心境、子どもの私にはそんな感じがしました。

年寄りは年寄りらしく、と言う人もあるけれど、私はそんな年寄りになるのならそんなに長生きしなくてもいいかな、と思います。
年がいくつであろうと、新しいことに挑戦したり、失敗を恐れずに前進して行きたいと思うのです。
悟りきった老境にも深い味わいがあることでしょう、が、いつ終るか知れない人生ですし、これからの自分の人生を精一杯生きたいと思うので、可能な限りはなんでもやってみたいのです。
そういうわけでバドゥラ=スコダさんの演奏会に出かけて、その生き方に感銘を覚え、自分にできる範囲で見習っていきたいと思ったのでした。

さて、演奏会ですが、モツァルトやシューベルト辺りが聞きたかったのですが、前半はハイドン(記念の年ですものね)とブラームスソナタ、後半はショパン一色でした。
ハイドンがはじまると、ウィーンの香が漂ってくる感じがしました。優雅で端正、上質な演奏という印象です。演奏スタイルもパンと決めた音の後や、最後の音のあとはさっと手を振り上げる優雅なしぐさが、はぁ、ウィーン風なのかなあと思ったり。かっこよくみえました。

ハイドンブラームスはあまり親しんでる曲ではありませんでしたが、とても弾きこなれてる気がしました。
華やかですが、派手すぎるところはなく、音は鮮明かつころころ転がってここちよい響きです。激しい部分もあくまでもさりげなく優雅に弾きこなす余裕が、ウィーン風なのかなと納得したり、、。

バドゥラ・スコダのショパンっていうのは、あまり聞いたことがないので、今回楽しみにしてました。
ノクターン2曲は、情感たっぷりで、さすがに年輪を重ねたピアニストの演奏と思いました。
次の「舟歌」も、すばらしいと思いました。こちらはかなりテクニックの要る曲です。3度のトリルもかる~く転がるようにこなして、さりげなく美しく終わりました。
最後のバラードは、少しお疲れだったかもしれません。
聴衆は惜しみなく拍手を送り、バドゥラ=スコダさんは、4曲アンコールを弾いてくれました。

ショパンノクターンが2曲(多分Op27の1と2)、映画の主題になって有名になった遺作の嬰ハ短調ノクターン、そして最後にこうもりポルカ、でした。
最後の曲はコミカルで楽しげでした。去年見たオペレッタを思い出しました。
最後に舞台で観客に応えた後、バドゥラ=スコダさんはピアノの椅子の上においてあった座布団をもっていき、ユーモラスにもうこれでおしまいだよというポーズをしました。
聴衆は暖かい拍手をいつまでも送っていました。彼が私たちに届けてくれたのはピアノの演奏だけではないですものね。

できれば、今回はモツァルトのプログラムで聞きたかったので、モーツァルトのピアノコンチェルトのCDを買って帰りました。
写真は、プログラム、そしてCD。このジャケットなかなか可愛いです。