ぺんぎんの音楽日記

クラシック音楽について、絵画や鳥たち、日々の生活について自由に書いていこうと思います。

LFJ~受難曲編

さて、最後に受難曲です。
バッハのマタイとヨハネの受難曲、当初はこれにロ短調ミサも加わるはずでしたが、3日のCホールでのロ短調ミサのチケットを取り損ねました。4日のロ短調ミサはAホールであった事、Cホールで行われるヨハネ受難曲と重なってしまった事で諦めました。5日は最終日の最後のプログラムとして締めくくりの曲にふさわしい「マタイ受難曲」を聞くことに。

受難曲の歴史は中世にまでさかのぼります。
礼拝にて司祭や助祭によってマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ福音書の受難のストーリーが朗誦され、コラールとエヴァンゲリスト(福音史家)の応唱の受難曲となり、オルランド・ディ・ラッソやシュッツなどの作品が生まれます。やがてオラトリオの形式に発展して、スカルラッティテレマンなどにより作曲されます。そしてその頂点は、やはり何と言ってもバッハによるものでしょう。
このふたつを今回聞けたのはとても嬉しかったです。
特にヨハネ受難曲は演奏される機会が少ないですしね。
下の絵は、エル・グレコの十字架を運ぶキリストの絵。

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CD(演奏者はあまり聞いたことないです)は持ってるものの、ほとんど聞いていません。この曲の制作を依頼されて初めて聞きました。はじめのおどろおどろしい、そして不協和音の印象的なところを制作しましたが、作った本人がよくわかっていません。消化できてなかったのですね。
頑張って、演奏会の前までに一生懸命に聞きました。あまりインパクトもなく、面白くもない、と思ったのですが、、
鈴木氏の振るBCJの演奏ですと、静かな落ち着いた透明感のある美しさを感じました。
日本人のエバンゲリストも、よく抜けるテノールで好演していました。
いくつかのコラールが出てきますが、讃美歌の「草木も人も、眠りに落ちて」で始まる歌の元になっているコラール、このメロディがとても静かに響きますね。
マタイほど劇的ではないのですが、穏やかな落ち着きを感じます。
1部と2部の間に休憩です。
2部の後半にある、ソプラノのアリア、トラヴェルソの伴奏とともに心があらわれるような美しさです。
終わりの前のコラールも「よく休んで」という意味の言葉が繰り返され、心に響きます。
終ると、拍手がいつまでも鳴り響きました。
鈴木雅明BCJの10枚組みCDを買う決心をしたのは、これを聞いたからなんですね。。。


マタイ受難曲/ミシェル・コルボ&ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル

去年のコルボとローザンヌロッシーニの「小ミサソレ」に感動しまして、今年もぜひ、コルボのプログラムをということで、マタイです。
その前のヨハネも、約2時間、CD2枚分ですね。今度は、約3時間、CD3枚分です。
昼寝していきました。さすがに眠くなるといけないので。
その前のコロベイニコフの演奏が長引いて、結局晩ご飯はコンビニのお弁当をホールAの2階で食べました。席はステージがよく見渡せる2Fの前の方に取りました。4000円のS席です。このお値段、他のLFJの公演にしては高いですけれど、3時間かかる「マタイ受難曲」全曲のお値段としたら、それもコルボ指揮でということでしたら、ずいぶんとお安いですよね。ホールがちょっと大き過ぎではありますが。
休憩時のトイレの混みようったら、、、長蛇の列でしたが、仕方なく並んでおりました。
すると、開演のチャイムが鳴り、どうしようと思ってると、係りの人たちが
「開演するとは入れません、お急ぎください」と叫ぶ声があちこちで聞こえる。。
でも、こんな奥のトイレまで案内したのは係りの人でしょうがぁ、、、こっちが空いてるとか言ってさ。。仕方ないので、トイレには行かずに席に戻る。

など、ありましたけれど、やっぱり、マタイを聴きに来てよかった、、最初から心に染みる演奏でした。
右と左に分かれた二重のコーラスも、アンザンブルもとてもよく溶け合って、聴衆をバッハのマタイの世界に引き込んでくれます。
エヴァンゲリスト、素晴らしい声と表現力です、聞きほれます。ふとスクリーンに映った顔を見ると、誰かに似ています。ブラピ似ですね。歌い方にとても熱がこもっています。よく観ると、ネクタイをしてるのは彼だけのようです。イエス役のバリトンは、髭のある顔までイエスのようです。
マタイは、女声ソロはアルトの方が役割が大きいですね。アルトのきれいなアリアがいくつかあります。
第1部まで終った時に、聴衆はここで休憩と思って(ヨハネがそうでしたから)、拍手をしかけました。私もそのつもりでした。が、コルボ氏は聴衆の拍手を左手で静かに制して、続けました。
あ、そうか、アルトのアリア、Erbarme dich mein Gottのところまで行くのね、そう思いました。
このアリア本当に素晴らしかったです。聞いてるだけで涙がこぼれそうになります。
ここまで来て、休憩に入りました。
後半も、コルボ氏は疲れを見せずに意欲的に指揮棒を振ります。足が少し悪いのか、歩く時に少し左足を引きずってるように見えます。指揮台では、時々座りながらの演奏です。
指揮者も、曲に魂を吹き込んでいるのですね。
何度も繰り返された、讃美歌の「血潮したたる主のみかしら」で知られるコラールが、最後の回を向かえ、そして最後の合唱、切ない思いの後、安らぎを覚える終止。
聴衆の鳴り止まぬ拍手に、コルボ氏は足をかばいながら何度かカーテンコールに現れ、深々と何度もお辞儀をしました。
カーテンコールも終わり、ほとんどの人が立ち上がって帰ろうとしたところで、また俄に拍手が巻き起こりました。振り返ると、舞台の左端にコルボ氏が立ってお辞儀をしていました。再び拍手を浴びてコルボ氏は袖に入り、聴衆も帰途に着いたのでしたが、若しかして、コルボ氏はもう二度とここへは来ないつもりなのかな、、という考えがふと頭をよぎりました。もしかしたら、来たくても来れないかもしれないという想いがあったのかもしれません、氏の高齢を思うと。。