ぺんぎんの音楽日記

クラシック音楽について、絵画や鳥たち、日々の生活について自由に書いていこうと思います。

ヴェネチアの栄光

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ヴェネチアヴェネト州の州都、古来はウェネト人の土地という意味であったようです。
6世紀ごろ、ゲルマン民族の移動や、フン族の侵入のために、湿地帯であったトルッチェロ島にヴェネト地方から逃げ込んできた人たちが暮らすようになったのがヴェネチアの始まりだといわれています。
その後、9世紀の初めフランク王国が攻めてきて、現在のヴェネチア島に移り住むようになり、その最初の場所が、現在のリアルト地区ということだけれど、リアルト橋という橋があって、一つ前の記事のゴンドラの絵はその橋の上からの眺めです。

その辺の歴史は塩野七生さんの「海の都の物語~ヴェネチア共和国の1千年~」に詳しく書いてあります。私は上巻の途中で挫折してしまいましたが。。。

中世のヨーロッパでは、それぞれの都市は守護聖人を持っていました。マルコによる福音書の著者の使徒マルコの遺骸(真偽のほどはあやしいものだけれど)をアレキサンドリアから奪ってヴェネチア守護聖人とし、サンマルコ大聖堂が建てられました。この聖堂は以後何度か建て直されて現在に至っています。

自由な貿易都市として栄え、10世紀後半からはイスラム諸国とも交易、アドリア海沿岸の支配領域を拡大しました。11世紀の第4回十字軍では、イスラム勢力との戦いではなく、味方するはずのビザンチン帝国の首都コンスタンティノープルを攻略し、東地中海最大の勢力となりました。ビザンチンヴェネチアにとって商敵だったのですね。最盛期を迎えた頃、ヴェネチア出身のマルコ・ポーロが元へと旅行しています。(今もその家が残っていたと思います)
東方貿易を独占、栄華を誇るヴェネチアでしたが、その後、オスマンの進出や、大航海時代の到来で貿易の中心が地中海から大西洋側へと移ったことにより、次第にその勢力は衰え、ナポレオンらによって侵略されていくことに、、
 
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さて、ヴェネチアというと、音楽ではヴェネチア生まれのヴィヴァルディがいますね。
ふと、ヴィヴァルディの「四季」のCDジャケットを見ましたら、ヴェネチアではないですか、、ドゥカーレ宮殿ではないですか、、(写真)

ヴィヴァルディはヴェネチアに生まれ、サンマルコ大聖堂のオーケストラのメンバーであった父からヴァイオリンを学び、司祭となり、ヴェネツィアピエタ慈善院付属音楽院でヴァイオリンを教えています。
ばりばりのヴェネチアっ子なんですね、、、、
ヴェネチアの栄光がまだ残っていた頃なのでしょう。ヴィヴァルディの音楽は明るくかろやか、かげりは感じられませんね。